皆さんこんにちは。初めまして、アーティーと申します。
今日はインドのメディア、エンターテインメント、広告業界についてお話しする前に、まず私のインド人としてのこれまでの人生を振り返りたいと思います。
過去30年間のインドの若者がどういう育ち方をしたかについても分かるかと思いますので、ぜひ読み進めてみてください。

インドのど真中にあるナーグプルの街に1979年に母方の家に生まれた私は、父方の家のある南インドのチェンナイで育てられました。幸運にも上流中産階級の家族3世代18人、管理スタッフ10人と共に暮らしていました。教育から何から非の打ち所のない育ち方をし、常に家族と一緒にお祈りをし、食事をし、一緒にいました。
この様な家庭に生まれながらも自由も許されており、チェンナイの大学で経営管理の学士号を取得すると、教育のメッカである西インドのプネーの大学院に進みました。様々なマスコミュニケーションの形について2年間勉強したのち、ムンバイで10年間友人と暮らしました。その時ともに生活していた4人は自分で選んだ家族のような存在で、それぞれ違った文化的背景を持っていました。インドは28の州から成り立ち、7つのエリアに分かれ、それぞれの州は独自の言語を持ち、文化やしきたりによってつながれています。
1947年にイギリス領から独立したインドではありますが、そのような「アメリカ的」な生活をしていた私達は自然と英語で話し、1994年以降に徐々にテレビや映画でもアメリカの影響が色濃くなっていったように思います。正直に言うと、私のような育てられ方をしているインド人の女の子はまだまだ少ないですが、その数は日に日に多くなっています。
2001年以降はインド業界のトップの人々とおおよそ10年間共に働くという素晴らしい経験をすることができ、転機は2008年。長編映画の撮影東京に来てからというもの、私は東京が大好きになりました。(もしかしたらそれは、7歳の時に祖父が日本土産で買って来てくれた着物を着てドレスコンテストで優勝したときから始まっていたかもしれません)そして気づけば、東京で暮らすインド人と籍を入れ更にこの国とのつながりを強くしたのでした。そうしてAoi Pro.の素敵な人たちとの交流がうまれました。

Aoi Pro.との関係は私が大切にしているインドの考え方をより強めるものです。
Vasudhaiva Kutumbakam 。「器の小さな人だけが他人を差別しようとする。器の大きな人にとって全世界はひとつの大家族である。」という意味の言葉です。

最後に、私の初めてのブログを締めくくるのにふさわしく、最近インドで放映されたインドの制作会社のリーディングカンパニーであるNirvana Filmsによる作品をご紹介します。インドへようこそ! Welcome to Incredible India!! 🙂